『本は10冊同時に読め!』

『本は10冊同時に読め!』成毛眞

内容は要するに、「ひたすら読め。乱読でも、積ん読でも、読み切らなくてもよい。あらゆるジャンルの本をランダムに、そして平行して読め。読書にまつわる全てが自分の財産になる。」といったところ。

こういう断定的で、真っ直ぐな意見は好きなほうだ。

ただ、読んでいて感じたこと。
それは、なんだか深夜のテレビ通販みたいだなぁということ。
○○で困っているあなたには、はい、「超並列」読書術!
○○が最近うまく行かない?そんなときは、はい、「超並列」読書術!
悩んでいないで、さぁ今すぐに、はい、「超並列」読書術!

と、こんな具合に終始一貫して一冊が終わる。
なんだか論理の善し悪しというより、展開の仕方が短絡的だな、というのががっかりポイント。
本、たくさん読んで論理磨いたはずの人が書いていると思うと、説得力に欠けるよね。

それから、もう一つ。
それは、意見の仕方が、極端に振れているなぁということ。
もちろん、「超並列」読書術を全面に押して本を書いているわけだから、絶対的で揺るぎない書き方が求められているのだろうけど、
実際のところ、テレビを捨てて、満員電車には乗らずに通勤はタクシーの中で読書、なんていう生活は極端すぎて一般人向けではない。
極端なことをすると、極端な考え方しかできなくなるし、何事もバランスよく、世の中の平均値を探ることって、けっこう重要なんじゃないかなぁ、、と個人的には思う。
読んでいて、「なんだか利己的で、自己完結していて、のりしろの狭そうな著者だなぁ」という印象を抱いてしまった。

まぁでも結局のところ、「超並列」読書術は続けます。
効果は必ずあると思うので。

人に行動を起こさせる(継続させる)ことができる本はよい本。

 

東海岸のものをおまかせでね。

一人ごはん、二人ごはん、少人数こじんまり、大人数わいわい、
さいわいなことにどれも好きで、どれも楽しいと思える人種である。

学生時代からひとりで旅に出ることも多かったため、旅先でひとりで食事をするということに抵抗がないが、
「この店に一人で入ってもよいか」を見極めるのはなかなか難しい。
その国では一人で食事をするということが自体がめずらしく、定着していない文化ということもありうるし、
どういうシチュエーションで使われるお店なのか、ということも土地勘や事前情報がなければわからない。
自分がよくても、お店の雰囲気を乱すことはあまりしたくないと思っている。

2013年秋にひとりで訪れたニューヨークは、ありがたいことに現地で食事を共にしてくれる友人・知り合いが何人かおり、
ひとりで夕食をとることはあまりなかったが、その中でとても気に入ったお店がある。

ランドセントラル駅の、老舗オイスターバーである。
店内は非常に広く、たしか半分がテーブル席、半分がカウンター席だったと思う。
ひとりで食事をとる際、カウンター席のほうが気兼ねなくて居心地がよいので、その占める割合が多いのもありがたかった。

旅先で初日の食事に、あえて生ガキを選ばなくとも、と思う人もいるかもしれないが、そういうことは気にしない性質である。
せっかくニューヨークに来ているので、「東海岸のものをおまかせで」と頼んだつもりだったが、英語力の問題か、西海岸と東海岸を混ぜ合わせた皿が運ばれてきた。
西海岸のものは少々大ぶりでカキ自体の含水量が多い印象、反して東海岸のものは小粒でぷりっと身が締まっており、しかしどちらも日本のものより磯臭さが強くなくて非常においしい。
東海岸のほうが個人的には好きだけれど、比較しながら食べるのが楽しくて、結果オーライ。
付け合わせはクラムチャウダーとクラッカー(それからもちろん白ワイン)。

クラムチャウダーは、マンハッタン式トマトベースのものと、ニューイングランド式のミルクベースのものとあり、珍しさと、場所もせっかくなのでマンハッタン式のものをオーダーする。

味は正直言って普通だった(タバスコをかけるとおいしい)が、冷たい生ガキの後に温かいスープが出てくると、なんだか胃が安心して、初日の食事にふさわしかったように思う。

 

隣に座る初老の男性と、給仕してくれるブロンドポニーテールのハツラツとしたお姉さんのやりとりもなんだか微笑ましく、U字型のカウンター席に共に座る客の様子を一組ずつ観察しながら、映画のワンシーンのような初日の晩餐を終える。

 

もう1度絶対に行きたいと思って、実際2度行った。

コーヒーのサードウェーブ、という言葉を最近巷でよく聞く。
水色のボトルが慎ましく描かれたシンプルなカップ、そのコーヒーを求めて3
時間も人が並ぶというあれ、

そう、「ブルーボトルコーヒー」である。
日本で話題になったからそう言っているわけでは決してないが、
2013年秋、1週間のニューヨーク滞在から帰国したわたしに、食いしん坊を知っている友人から
「ニューヨークで食べたものの中で何が一番おいしかった?」という質問をうけると、決まって、
「食べものではないけど、もう1度絶対に行きたいと思って実際2度行ったのはブルーボトルのコーヒー」
と答えていた。

ブルーボトルコーヒーを初めて知ったのは確か2010年くらいで、なんでもサンフランシスコで人気爆発、長蛇の列ができるコーヒーやがあると聞いたのだった。
ニューヨークには滞在当時確か2店舗あって、旅支度をしているときから、絶対に行く、と決めていたお店の1つである。
「これは確実にポストスタバの流れだな」
とわたしも思ったけど、もちろん先見の明がある人がもっと先にそう言っていた。
ようやく念願かなって、グルマンの集うチェルシーマーケットの店舗でホットのカフェラテを注文したのであった。

カップのふたをとると芳ばしいいい香りがして、クリーミーな泡の下から黄金色の液体がとろとろと口の中に滑り込む。
文字通り心を揺すぶられるような感動的なおいしさだった。
というのも、わたしは元来お茶党で、コーヒーといえばお腹がいっぱいのときの食後のエスプレッソとか、ドーナツを食べるときの薄いアメリカンとか、かなり限定的な飲み方をするタイプ。日常的に癖になっているようなカフェインホリックというわけではない。
豆の挽き方だとか、ブレンドだとかにかなり音痴なうえ、酸味が強いものは嫌だとか濃いのは嫌だとかうるさい。
そんなわたしが、その一杯の一口目から最後を飲みきるまで心底おいしいと思った初めてのコーヒーだった。
コーヒーで苦手な部分というものを全て取り除かれて、コーヒーのおいしいなという部分だけで作った、まるでおいしくなるためのフィルターで丁寧にろ過されたようだった。
この、いわゆる「飲みやすい」過ぎるようなコーヒーが、わたしのような音痴な舌だけでなくきちんとコーヒー好きさんを満足させる奥深いおいしさを兼ね備えているところが、まさに魔法のコーヒーなのだ。 コーヒーを飲みながら、外を臨めるガラスの窓辺でとおり行く人をながめているうちに、おいしいコーヒーを出してくれるカフェのある街には、すてきな出会いがあって、すてきな物語が始まるんだろうな、そんな口福な気持ちになった。
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2013年秋ニューヨー
ク①

なんだかまくらみたい。

きちんと手入れの行き届いた金色の縁どりの白いお皿に、お行儀よく寝かされて、それは運ばれてきた。

第一印象は、「なんだかまくらみたい。」だと思った。

というのも程よい長方形なのだ。長辺と短辺の比率がちょうど7:3くらいで、指でつつけばしっかりとへこみ返してくるような厚みがある。

世間でよく見るそれには、なんだか野蛮なまだらの焦げが見受けられることが多いが、目の前に横たわるその2体は均一な美しい焼き目をもって、優雅に横たわっている。


温かいうちに表面にバタを溶かし、一口目は何も付けずに。
特段、変わった味はしない。たった今のせたバタの塩気は感じるものの、それは経験したことのある、正真正銘のフレンチトーストの味がする。
特筆すべきなのは、味というよりはむしろ、その食感。

つまり、ほんの一口で誰が何を言わなくとも漏れ伝わる、その「手間ひま」だろう。

聞くところによると、厚さ4センチにカットされ、たっぷりのアパレイユ液に24時間浸された食パンは、その間に計4回、「寝返り」を打たされ、隙間なく浸透した液体は、起きたときにむくみをとるかのごとく余分な水分を絞られ、これ以上ない完璧な保水率をもってしてフライパンに投入されるという。
全行程を知らずとも、一口頬張ればわかるだろう。
手塩にかけて愛情をたっぷり注いで育てた子が、いかに優しく素直な味がすることか。
卵や牛乳とは別からくる、なんとも言えぬ甘さが引き立っていることか。

その原型が食パンであったことを一度も思い出さずに食べ終えた。
固くなった食パンをアレンジしたのではない。食パンの変化形ではない。
それは小麦であったはじめから、フレンチトーストとして供されるために一過程としてパンという段階を経たに過ぎない。
正統なフレンチトースト、まさにその名称がしっくりくる。

グラニュー糖をたっぷりまぶし、口の中でじゃりじゃりと味わうのも懐かしさがあっていいし、こっくりとした深みのあるメープルシロップを滴らせながら味わうのも捨てがたい。

いずれにしても、この正統なフレンチトーストは、文字通り一晩かけずには作れないものであるが、味の決めてはそれだけではない。
手間ひまのさらに奥に感じるのは、一朝一夕では仕上がらない、ホテルオークラの47年の歴史だろう。

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ホテルオークラ オーキッドルーム
フレンチトースト

はじめに。

今日は2015年7月のある日で、疑う余地もなく暑そうな外を眺めながら、

冷房がきいた涼しい部屋で、氷の入ったアイスティーと先日芥川賞を受賞したばかりの話題の図書を横に置き、

どんな夏にしようかなぁ。

と考えあぐねているところ。

これから始めるブログのテーマも決まっておらず、

どうしたものかなぁ。

と、とりあえずHatena Blogの門戸をそっと開いてみたところ。

 

勝手ながらの書評と、勝手ながらのお店やごはんの紹介、気ままな旅行記。

この3本を軸に書きたいものを書き、書けるものを見つける。

写真はいっさい使いません。

ここはわたしの、書くための練習場。

文章だけでどれだけ伝えられるか、試す場所。

つまらないときは読み飛ばし、少しだけでもおもしろかったら、何かしらの反応をもらえるとうれしいです。

 

プロのライターを目指しています。フィールドは紙。

2015年下半期の目標は、書く仕事を1つでもつかむこと。