もう1度絶対に行きたいと思って、実際2度行った。

コーヒーのサードウェーブ、という言葉を最近巷でよく聞く。
水色のボトルが慎ましく描かれたシンプルなカップ、そのコーヒーを求めて3
時間も人が並ぶというあれ、

そう、「ブルーボトルコーヒー」である。
日本で話題になったからそう言っているわけでは決してないが、
2013年秋、1週間のニューヨーク滞在から帰国したわたしに、食いしん坊を知っている友人から
「ニューヨークで食べたものの中で何が一番おいしかった?」という質問をうけると、決まって、
「食べものではないけど、もう1度絶対に行きたいと思って実際2度行ったのはブルーボトルのコーヒー」
と答えていた。

ブルーボトルコーヒーを初めて知ったのは確か2010年くらいで、なんでもサンフランシスコで人気爆発、長蛇の列ができるコーヒーやがあると聞いたのだった。
ニューヨークには滞在当時確か2店舗あって、旅支度をしているときから、絶対に行く、と決めていたお店の1つである。
「これは確実にポストスタバの流れだな」
とわたしも思ったけど、もちろん先見の明がある人がもっと先にそう言っていた。
ようやく念願かなって、グルマンの集うチェルシーマーケットの店舗でホットのカフェラテを注文したのであった。

カップのふたをとると芳ばしいいい香りがして、クリーミーな泡の下から黄金色の液体がとろとろと口の中に滑り込む。
文字通り心を揺すぶられるような感動的なおいしさだった。
というのも、わたしは元来お茶党で、コーヒーといえばお腹がいっぱいのときの食後のエスプレッソとか、ドーナツを食べるときの薄いアメリカンとか、かなり限定的な飲み方をするタイプ。日常的に癖になっているようなカフェインホリックというわけではない。
豆の挽き方だとか、ブレンドだとかにかなり音痴なうえ、酸味が強いものは嫌だとか濃いのは嫌だとかうるさい。
そんなわたしが、その一杯の一口目から最後を飲みきるまで心底おいしいと思った初めてのコーヒーだった。
コーヒーで苦手な部分というものを全て取り除かれて、コーヒーのおいしいなという部分だけで作った、まるでおいしくなるためのフィルターで丁寧にろ過されたようだった。
この、いわゆる「飲みやすい」過ぎるようなコーヒーが、わたしのような音痴な舌だけでなくきちんとコーヒー好きさんを満足させる奥深いおいしさを兼ね備えているところが、まさに魔法のコーヒーなのだ。 コーヒーを飲みながら、外を臨めるガラスの窓辺でとおり行く人をながめているうちに、おいしいコーヒーを出してくれるカフェのある街には、すてきな出会いがあって、すてきな物語が始まるんだろうな、そんな口福な気持ちになった。
----------
2013年秋ニューヨー
ク①